5 3月

「聖なる朝」

我、朝をむかえられることが、当たり前であり、当然なことであり、自然な風景と思うならば、それは大きな勘違いから始まる「個」の1日となる。
聖なる生命(いのち)の誕生の朝をむかえる我。「各々」に与えられている特別な小宇宙に生きている証であり、それが、つきない神泉なる泉からあふれでる。小宇宙ある「我の異次元」に、当然であり、当たり前の出来事は一つとして与えられていない。
あなたと私の異次元を超越した大宇宙の中の小宇宙にあって、新鮮で、聖なる生命の風が吹きぬけていく朝をむかえる我、ここにあり。